自民党も決してしっかりしているわけではありませんが、民主党などの野党よりはましです。

柳澤厚生労働相が大臣をやめなきゃ、国会の審議拒否だって。

・・・・バカです。

辞任問題は辞任問題、国会審議は国会審議。別問題です。

前々から思ってましたが、いったい野党に、国会審議という国にとって大切なことを、勝手に取引条件にする権利があるんでしょうか?

これを繰り返してきた政党が社会党です。
北朝鮮を擁護してきた社会党。現在も社民党(一部民主党に流れた)などと名乗って、かろうじて命脈を保っている、私から見れば害毒集団です。

この集団と同じことをまだやろうとしている・・・・。そういう時期じゃないでしょ?

まさに国の私物化です。
この一事で、なにがあろうと私は次の国会選挙では絶対野党には入れません。


もう政治家もマスコミもワンパターンのヒステリックな反応を繰り返して、国の運営を邪魔するのはやめましょうよ。
[PR]
厚生労働大臣の失言のせいで、またマスコミと女性問題に真剣な方々から批判を浴び、政治の空白を呼びそうです。大臣になるような人は、公人がああいうことを言えばたたかれて、対応に時間を割かれるということぐらいわかる常識をもっていてくれないと困ります。

柳澤大臣だって、自分の母親や奥さんに対し、子どもを生む機械だなんてことは思ってないと思いますよ。単に常識がない。あるいはそういうことを注意された経験がないお山の大将だったということでしょう。責められるべきは失言の内容より、そこでしょう。

もちろん失言をたしなめるのは必要ですが、世間も過剰反応しすぎな気もします。
最近は「私は傷ついた!」と主張するのが流行ってるみたいですが、それをヒステリックにやるのはあんまり品がいいこととは思えません。


それよりも、失言ならば、久間防衛大臣の方が深刻です。

自国の防衛体制にヒビを入れるような迂闊な思いつき米国批判を繰り返すような人が、防衛大臣をやっていることのほうが恐ろしい。

アメリカを怒らせて成り立つ防衛構想があるならば、ぜひ久間防衛大臣に開陳していただきたい。もっとも、あのような失言を繰り返す人には、構想など何もないと思いますが・・・。
この人こそ早くやめてももらったほうが国のためです。
[PR]
年末に刊行されました、塩野七生氏の「ローマ人の物語15巻」を読みました。最終巻です。

ああ・・・、ついに・・・とうとうローマ帝国が亡びてしまいました。
でも、その間、いろんなことを私に教えてくれました。

塩野七生さんの「ローマ人の物語」は、人間の本質、組織の本質を、深く考えさせてくれる名作だと思います。

すべての日本人に、ぜひ、読んでもらいたい。

選挙で国の行く末を考え、責任をもって投票したいと思うのなら、教養として読んでおくべき本だと思います。

選挙権がない人でも、例えば・・・
昨年履修モレで話題になった、高校の「世界史」をあわてて補習授業にするより、この「ローマ人の物語」を読むことで単位に代えるほうがいいぐらいです。その場合、単位を5倍あげても良し!

まあ、それぐらい重要な内容だと思いました。
ローマ史をちゃんと勉強している欧米人に、政治力で日本人がかなわないのは、その差か・・・と思っちゃいましたよ。

しかし、ここ数年、毎年年末の発売を楽しみにしてたのに・・・・。
今年の年末の楽しみがひとつ減っちゃいました。
[PR]
# by y-kanosan | 2007-01-21 15:46 | 歴史関係
幼いころ、私の母親は、鶏肉が古くなって少々におっても
「水で洗ってから煮たり焼いたりすれば大丈夫だ」
といって、おいしく食べさせてくれました。

また、現在でも我が家は消費期限切れの豆腐や納豆をおいしく食べてます。
こういうことは、家庭での自己責任の範囲なら良いわけです。

ところがこれが企業だとまずいわけです。そりゃ当たり前のことです。

さて、不二家さん、たいへんなことになりました。
食品を扱う企業として相応しくない衛生管理をしていたため、責められるのはある程度仕方がないと思います。
今後の食品業界への牽制としての、見せしめのような部分もあるでしょう。
とはいえ、不二家で働く人や、その家族には気の毒なことです。早く立ち直ってもらいたいです。

私もサラリーマンですから、企業の不祥事にはどうしても同情的になります。

ところが、中にはそうじゃない人もいます。
「私は以前不二家で働いていて、こんなことがあった」と告発する人
それを取材して、これでもかというぐらい放送するテレビ局。

どうなんでしょう。
川に落ちた犬を棒でたたくような行為は、正直、見ていてあんまり気持ちのいいものではありません。
[PR]
横浜に停泊中の護衛艦「さわぎり」と「あぶくま」を見てまいりました。
e0038858_21405186.jpg

[PR]
# by y-kanosan | 2006-10-21 21:41 | 艦船
私が小学校のときの同級生で、あだ名が「こんにゃく」という子がいました。
なぜ、そういうあだ名になったかというと、授業の発表のときに照れちゃってクネクネしながら演壇に立っていたときに、先生から
「そんな、こんにゃくみたいにクネクネしないで、シャキッとやりなさい」
という言葉がかかったからです。

その言葉は、母親のような気持ちで発せられた、いい雰囲気のツッコミでした。
でも、その後の彼は中学卒業まで「こんにゃく」と呼ばれ続けました。まあ、本人としては、あんまりうれしくないあだ名だったようです。

このように、未熟なガキの集団を束ねる先生の言動というものは、小さなことであっても大きな影響を及ぼしてしまうことがあります。子どもの集団の中で特定の子どもにかける言葉には細心の注意が必要ということで、先生とは神経を使う大変な職業だと言えます。


福岡の中学生自殺の事件の報道は、無神経な発言をした先生の糾弾キャンペーンになっています。確かに、その先生には迂闊で責められるべき点もありますが、世間の彼のたたき方は少々行き過ぎの感じがします。
もし、糾弾によりその先生の身に何かあったら、マスコミや関係者はどう責任をとるつもりなのでしょう。

なんか、いじめ事件のマスコミ報道はいつも的外れな感じがします。
集団の暴力に発展するいじめは、だいたいそれをリードする悪ガキがいるわけで、そういう悪ガキを何とかすることが、一番の解決法だと私は思うわけです。
たぶんこの感覚は学校生活を経験した人なら共通して持っているような気がするんですけど、マスコミの報道は一切そういうことを言いません。

おかしな話です。
福岡の事件で最も糾弾されるべきはいじめた側の子どもであり、その親であると思うんですがね。

こういう浅はかな未成年擁護の報道によって、福岡のその中学の生徒が、責任はすべて教師にあるんだと勘違いしたとしたら、それはその子たちにとって大変不幸なことだと思います。
[PR]
坂東眞砂子氏の子猫殺しの話。
週刊朝日によると、怒っている人が多いようです。
ネットで検索してみたら、有名な「きっこのブログ」でも散々な書かれ方をしてました。

でも、田舎で物心ついたときから家の中に猫がいる環境で育った私としては、坂東氏の話は至極まっとうな話で、そうだよなあ・・・という感想を持ちました。

猫を育ててる人は、普通猫が可愛くて可愛くて仕方が無いはずなんですよね。

避妊手術をするのも、生まれてすぐの目が開かない子猫を捨てるのも、その人の住んでる環境に応じた、生き物を飼うことに対する責任の取り方に過ぎないと思うんですよ。

生まれた命を処分するのはけしからん!という人もいますが、私は人間と獣を同じ価値観でくくるのは間違っていると思います。

人間と獣は違います。
獣の気持ちなんて人間にはわかりません。それを人間の尺度で、猫の避妊は正しくて、目の開いてない子猫を処分することが悪だと断じることは、不遜な感じがします。

実家で飼ってた猫はよく子どもを生みました。
発情して子どもを生んで母親らしくなる猫を見てると、生を謳歌しているように見えたものです。

ペットを避妊するなんて風習がなかったころは、猫を飼う資格があるのは、子猫の間引きの辛さを耐えることができる家だけでした。
そういう根性の無いバカは、捨てられずにぼやぼやしてるうちに可愛い盛りを迎えてしまった5匹も6匹もいる猫を、竹薮に置き去りにして捨てたりするんですよ。たいがい車にはねられるか、野犬に食われるか、飢えて死んじゃいます。かわいそすぎます。

そんなことをする家は、田舎じゃ、迷惑な家族として糾弾されますから、絶対しません。動物を飼うことに対して覚悟の無い町方のヤツラが田舎の竹薮に捨てに来たものです。

昔の田舎の家では、子猫が生まれたら目が開かないうちに1匹残して、あとは川に捨てて処分します。一匹残すのは、全部捨てると親猫が子猫を探しまわったあげく、またすぐ発情して、衰弱しちゃうからです。また、子猫が1匹なら貰い手を探せますからね。

そういうふうに猫と接して生きてきましたから、今のこの猫殺しへの抗議というものが、なんか変な感じがします。不遜な人間からの価値観の押し付けのような感じ。

命は大切にしなきゃならないことは正しいですが、命至上主義はちょっと危険な気がします。

きっこのブログの作者は、ペットの避妊は簡単だといいましたが、田舎で車も持たずに一人暮らしをしているおばあちゃんにとっては簡単なことじゃないと思います。都会人の独りよがりな意見にしかみえません。

また、繰り返しになりますが、どういう状態がペットの幸せかは、獣の心がわからない以上、結局は善良な飼い主のポリシーの問題だと思います。

きっこのブログの作者は、坂東氏を「きちがい」とまで言い切りました。
なんだか、猫を大切にしている田舎の自分の親まで、そのような呼ばれ方をされたようで、非常に非常に不愉快な気持ちになりました。
[PR]
8月7日からNHK総合で「駄菓子屋少年堂」という番組が始まります。
第1回のテーマは「メンコ」。

実は私、この番組の制作会社の方からヒアリングを受けまして、私の思い出のエピソードが1コーナーに取り上げられそうなんです。

ヒアリングを受けたキッカケは、私のホームページの記事「父の魂」に書いた「メンコの思い出」をスタッフの方が読んでくれたことです。

少年から大人になるための儀式、「メンコのばらまき」を映像化したいというお話になり、私の故郷で先日撮影が行われました。

主人公は私の先輩「定男くん」です。
さてさて、定男君はどんなおじさんになっていて、どんな話をしてくれるんでしょう。
そして、再現フィルムはどんなものになるのか!?
私も知りません。

放送が楽しみであります。
[PR]
先日仕事の関係で、歴史精密画や軍装イラストで著名なイラストレーターN.R氏とお話しする幸運に恵まれました。

「最近、小学校で写生をさせなくなった」

氏によると、
戦後の学校の美術カリキュラムは、美術評論家が作ったもので、「自由」原理主義に侵されていて、積みあがる教育になっていない・・・とおっしゃるのです。

美術(絵画)の基本は、まず人や物、自然を正確に描くことであり、それをしないことは、国語で文字を習わない、算数で計算を習わないことに等しい。

写生は、ものを観察する技術が養える。また、絵という手段を通じて相手に正確に物事を伝える技術が養える。まずそこが美術の基本である。

それなのに、学校の美術教育は何も子どもに教えていないのに、やたらと自由に書かせることを推進している。
「心の中のものを自由に表現するのが正しい」
というイデオロギーに毒されていて、「自由」原理主義みたいなものだ。子どもがそれをやることは落書きと同じで、教育ではない・・・

そういう空気を美術評論家が作ったから、精密画の価値が不当に低く見られている。

とまあ、こういうお話でした。

精密イラストを仕事とされている氏のご意見なので、多少偏った部分があるのかもしれませんが、私としては非常に納得いくお話で、しかも勇気をもらえました。

というのも、私は現代美術を見てもあんまり感動できなくて、それよりもプラモデルの箱絵のほうが、私的にはよっぽど感動できるからです。
実はそれでよかったんですね。

評論家としては、職人的な素晴らしい絵よりも、わけのわからない現代美術に屁理屈をつけたほうが評論家として認められやすいので、そういうことを推進するんでしょうね。

でも、そのことが教育をゆがめちゃいかんです。

心の教育とか言いますが、心は教えて育つものじゃなくて「空気」で育つもの。教育カリキュラムは技術を教えることに徹するべきだと、私は思います。
[PR]
スギ花粉、ヒノキ花粉の季節だそうですが、幸い私は今のところ花粉症にならずにすんでます。ありがたいことです。

花粉症には無縁ですが、花粉には縁がある私。
実は私、学生時代の卒論が「花粉化石による古環境の推定」だったんです。

1,500万年前の地層から資料を持ってきて、酸を使って不純物を溶かし、塩化亜鉛溶液にいれて遠心分離して花粉化石を取り出し、顕微鏡でコツコツと花粉の種類ごとの数を数える作業を延々と繰り返す地道な研究です。

花粉でわかる古環境とは当時の気温です。
すごく簡単に言うと、スギ等の針葉樹の花粉に対して、樫とか椎とかの常緑広葉樹の花粉の割合が比較的多い時期は温暖で、針葉樹の花粉が圧倒的に多いときは寒冷な時期と言えるわけです。
私が調べた1,500万年前の日本は、スギ花粉が多い時期は海退期にあたってて、海進期はやはり温暖で、「へーなるほど」と思いました。

さて、遠い未来にもし今の時代の環境を花粉で推定したら、どうなるでしょう。
スギ花粉が多い日本は寒冷だった・・・と判断されるかもしれません。
温暖化と騒がれているのにね。
[PR]
# by y-kanosan | 2006-03-19 21:34 | 歴史関係